やっと、桁の繰り上がり1億円を達成したので今までの振り返りをして引き締めてfire到達したいと思います。
今回は、今までの道のりを振り返ろうと思います。
現在までの道のり
私は小さな頃から投資に興味がありましたが、親が株式投資に親しんでいた訳でもなく近くに投資している人が居たわけでもなく、投資知識の環境が恵まれていたわけではありません。
ただ、親が自営業であったため、お金は給与としてもらうものではなく、稼ぐものだという考え方は小さい頃からうえつけられていたのかもしれません。
20代に初めて、外貨定期預金を始めました。
金利が4%程度だったと覚えています。
はるかに日本円の定期より金利が高く為替の交換手数料(確か1ドル1円くらいだったと思う)が高くても
こういう世界があるものなんだ
と少し感じた時でした。
勤労以外でお金を手にする方法を知ったときでした。
株に手を出す
その当時、家の近くにユニクロが出来ました。
初めてみた時、衝撃でした。
そのときわたしは洋服は好きでしたので、色々なアパレルをみてましたが当時は、大きなブランドロゴのプリントが入っているのが主流で、価格が安いものもなぜかワンポイントのロゴが入っていました。無印の服がなぜか少なかった時代だったのです。
単純にユニクロは無地でシンプルでしたので売れるだろうなと。
株の買い方は分からないけど、ユニクロの株は絶対上がると思っていて、パソコンを買い、ついに証券口座を開く決意をしました。
大和証券に口座を開き、当時ミニ株というのがあり日本株を買いました。でも、なぜかファーストリテイリングは買いませんでいた。
ユニクロがファーストリテイリングだということも知らず、投資金額も10数万円程度。買える銘柄も限られています。
プレステ2が出てきたころでコロプラを買った記憶がありますね。
新日本製鉄とか、そのころの時価総額が高い定番銘柄ですね。
まったく知識が無い状態でした。やりながら覚えるかんじでした。ほんと危ないですね。
そのころの資産は微増でした。
そして禁断のFXを知りました。
FXという魔の手を知る
ある友人からFXというものを知りました。
100倍のレバレッジを掛けられるとか、まだ法律もあまりできていないときでした。
スイングトレードでチャートを見ながらやるみたいなスタイルでした。
その当時は円安ドル高基調となっていて、あまり知識がなくても円キャリートレードしていれば儲かるものでした。
ですが、わたしは自分のチカラだと過信していました。
自動売買というもの流行っててやりました。パソコン1台立ち上げっぱなしでやってました。
ですが、そのころのPCってよく止まるんです。そして約定せずで大損とかありました。
それ以前にうまく機能するわけはありません。バックテストはよくても未来はうまくいきませんので。
いちばんのバカな取引は、
南アフリカZAR/円JPY のスワップ取引でした。
200万円くらいの証拠金で3〜4倍程度だったかな、レバレッジ。
南アフリカ共和国は高金利通貨です。そして、日本は超低金利。
1日のスワップ金利は忘れましたが、すごかった記憶でした。数千円?くらいあったかな。
通貨の金利が高いことなんて、カントリーリスクがあるからってこと今なら当たり前なんですが昔はね。無知でした。
ですが、その時はこんな取引するブログもたくさんあって、ぜんぜん問題ないと思っていました。
そして、暴落が。。。
1週間で追加50万円入れて最終的に全額250万円は消え終了しました。
この1週間はいまでも忘れません。
この頃の250万円はデカかったです。
すこしのあいだ、金融の世界から撤退しました。
また、株式投資へ
でもやっぱり株とか好きなんですね。
サラリーマンの仕事
を頑張り、もう一回投資の世界へ。
今回は日本株以外にも、投資信託っていうのもやってみました。
2010年ころでしたか。くわしくは忘れましたが、BRICKS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)とかVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)が今後来るなんて言われたときでした。
今みたいに投資信託が整備されていない時期でしたので、圧倒的に信託報酬が高く大きく勝てるわけないですね。
3%とか普通にありましたから。そして新興国は手数料もっと高いのは普通ですよね。
いまは安くていい時代です。
その頃米国株には興味なし。
日本株は情報を見つつ、あがりそうな銘柄を選び購入というスタンス。
まぁ、株なので、基本持っていれば上がるから、それなりに勝ちにはなるわけで。
今考えると実力では一切ありません。
ついに米国株へ
日本株は長期低迷でしたので、株式投資も右肩上がりというのではなく、スイングトレードを基本に、っていうイメージでした。
ある時、米国株をみたら、長期チャートが右肩上がりなんです。これなら勝つのが簡単だと。
それから、米国株を学習しました。
そうしたら、米国が一強であること。
インデックス投資が最強であること。
長期運用が最強であるということ。
単位株で買わなくてよいから分散できること
がわかりました。
ここからは、すべてを信じて米国株に全力集中することにしました。
S&P500とNASDAQ100です。
銘柄でいうとvooとQQQです。
その時でも、割高と言われていた米国株でしたが勇気を持って購入し続けてました。いまだ上昇し続けていますね。
AIブームもいつまで続くかわかりませんが、暴落耐性はITバブル、リーマンショックを味わっていますので乗り切りたいと思います。
暴落を味わったことないひとにいっときます。結構きついですよ。
暴落って。
持ち続けることが基本とかいってますが、まーそれがむずい。
いまからイメトレしておいたほうがよさそうです。
これから先は、ブログに記載していきましたのでそのままです。
暗号通貨も手をだして(忘れてはいけない)
2017年には仮想通貨を知りました。
知った日にすぐコインチェックに口座を開きました。
ビットコイン、アルトコインとかいろんなコインを買いました。
くだらない知識が増えて、NEMとか持って、コインチェックのNEMハッキング事件をくらったひとりです。
あとからお金は帰ってきました。正直NEMが暴落後、暴落前の価格で戻ってきたのでラッキーでした。
当時1BTC3000円くらいなんです。いまチャートみたらびっくり。。。
コインチェックは手数料が高く、海外口座も作りました、バイナンス、FTX。
FTXの取引所通貨であるFTTは当時の1BTC程度もっていました。
その後FTX破綻。
戻ってきたのは40万円弱でしたか。。
FTXって、そのころ大谷翔平もCM起用されるくらいイケイケの企業にみえましたがすべて粉飾でした。
俺の1BTCかえせーってレベルですね。
ここで学んだのは、やはりメジャー通貨で長期保有ということです。
米国株式とおんなじです。
いろいろやられましたが、暗号通貨を知った日にコインチェックに口座を開かなかったら、今の暗号通貨資産は無いわけで、やはり1歩を踏み出すことが大事なことなんだと振り返ると思います。
あーおもいだした。
このころ、VALUって人に投資する企業ありましたね。
これが、ビットコインでひとに投資するんです。
私もある方に0.1BTC投資しました。
それこそ数千円のノリですよね。
そしてVALUは破綻。
もちろんおかねは帰らず。
ま、数千円程度なんでってかるく考えてましたが、いまの価値で150万円くらいって。。
時代ですね。。
不動産
金持ち父さん貧乏父さんの本にもあった通り、株式投資と不動産投資は代表的な投資先です。
どうしても私の人生で一度不動産投資をしてみたいという衝動がずっとありました。
そのタイミングで不動産投資をしている方と出会い、ここから不動産投資を始めました。
最初は、藤田田に会いに行く孫正義少年の気分でした。
小さくて築年数も30年超ながら融資でお金借りて2000万円で一棟スタートできました。
いろいろいまだに勉強です。
楽しいですね。新しいことやるのって。
儲けはさほど大きなものではありませんが、老後の楽しみができました。
最終的には、マイクロ法人として残してもいいので不動産のために法人を作ったのはよかったです。
これも、やる気だけですね。第一歩のやる気が大事なのかなぁといまは思います。
現在
現在は、米国株インデックス主体で、米国債券、暗号通貨、不動産。
これを行っています。
FXはこれからもやりません。日本株も多少もっていれば、日本に調味が沸くのでその程度。
これからも米国株ですね。

もちろん、入金も多い年では200万円くらい入れましたが、日記を見ると2019年2月で3100万円でした。
2024年末で1億達成ですからね。5年弱ですか。
この時期のリターンは驚異的ですね。
コロナショックの暴落でナスダック100に突っ込めたのも勝因です。これは売らずに買えたのは過去の経験だったと思います。
こうやって振り返ると、ミスが減りました。
やってはいけないことが分かるようになった気がします。
そして、すべてに行動することが大事であったこと。
FXをミスしていなければ、いまだ高レバで取引するだろうし、仮想通貨でミスしなければ、いまだミーム株やるだろうし。
すべて経験なのかもしれません。
ほんと当初60歳でリタイアっていうタイトルでした。
それが55歳になり、現在52歳ですから。
どれだけいい時期に投資できたのか。
今後年間リターンが5%台とかあたりまえですから、これからはあまり期待せず、期待を超えるよう投資を頑張りたいとおもいます。
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